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実りの秋を学ぼう!『ゆりおとめの社会科見学』その1
稲刈りレポート「宮城県登米市立石森小学校編」

石森小学校では、“ホンモノ”の田んぼを使って、稲刈りの授業をする!!

 石森小学校では、専業農家の方の田んぼを実際に使って、稲刈りの授業をしました。
 はじめにコンバインを使った、稲刈りの実演がありました。

 広大な田んぼの中をガンガン走り、あっという間に稲刈りをしてしまうコンバインの力強さにみんなびっくり!
 さすが、日本有数の米どころの稲刈り授業。このスケールの大きさに、児童のみんなから歓喜の声があがりました。

 そのあと、児童の手作業による稲刈りの実演がおこなわれました。
 農家の小野寺さんから、一人ひとり丁寧に鎌の使い方をご指導いただきました。

石森小学校では、“ホンモノ”の田んぼを使って、稲刈りの授業をする!!

 この田んぼは、学校から歩いて5分くらいのところにあります。

 このあたりの土地は、江戸時代に入るまでは、大きな沼地となっていたところでした。

 江戸時代に入り、仙台藩主・伊達政宗公をはじめ、歴代藩主による大掛かりな干拓事業により、広大な田園地帯に変貌をとげていきました。

 でも今のように、整備された田園地帯になるのは、日本が高度成長期を迎える昭和30年代からのことで、この土地で生まれ育った萬画家・石ノ森章太郎先生の少年時代は、まだまだあちらこちらに沼地のあとが残る場所だったそうです。

 少年時代の章太郎先生にとって、ここは格好の遊び場だったところでした。
 章太郎先生の少年時代を知る町の古老にお話をきくと、当時の章太郎先生はガキ大将で、みんなでかくれんぼしたり、鬼ごっこをしたり、沼地のぬかるみに足をとられながら、日が暮れるまで泥んこになって遊びまわっていたそうです。

 のちのち、“マンガの王様”と呼ばれるようになる章太郎先生の大物ぶりは、もうこのときから発揮されていたのかもしれませんね。

 これは、章太郎先生が通っていた当時の石森小学校の写真です。

 このように絵葉書にもなっているくらいなので、当時でもかなり立派な建物だったのでしょう。

 では、章太郎先生の時代、石森小学校はどんな学校だったのでしょうか。先生は、当時の学校の様子をこうエッセイに記しています。

「石森国民学校」
 太い四角の、やや黒ずんでひび割れた木の校門には、こうあった。
 母に手を引かれ、たぶん、大いに緊張して、ボクはこの門をくぐったに違いない。
 (中略)
 門を入ってすぐ左手に、やはり黒ずんだ二宮金次郎の像があった。薪を背負い本を読みながら歩くむかしの少年の銅像・・・
「ボクはダ・ヴィンチになりたかった」(清流出版)より引用

 これが、章太郎先生のエッセイに登場する、石森小学校の二宮金次郎の銅像です。今でも、校門を入ってすぐのところに立っています。

 さて・・・
 薪を背負って本を読んでいる有名な金次郎さんの銅像。いったい、金次郎さんは、何の本を読んでいるのでしょう。
 石森小の“特別”図書委員をつとめるあるゆりおとめとしては、大変気になるところです。

 そこで、石ノ森章太郎先生のふるさとから、二宮金次郎さんのふるさとにひとっ飛び。
 金次郎さんの“ふるさと記念館”である、小田原市の『尊徳記念館』に、突撃取材をすることにいたしました!!

(写真:小田原市役所ホームページより引用)

 この『尊徳記念館』で、私の相手をしてくれたのは、一体だあれ?・・・
 次号をお楽しみに!!


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